遺児の心のケアを目的に設立された「レインボーハウス」。神戸、日野に続き、2013年に「東北レインボーハウス」の建設が予定されています。その活動を推進してきた八木俊介さんが「あしなが育英会」のお仕事に携わるようになったきっかけや、活動への原動力、今の想いなどをお伺いしました。
――八木さんが「あしなが育英会」でお仕事をするようになったきっかけは何ですか?
元々、交通遺児のための奨学金制度があったのですが、災害遺児にも対象が広がったのが1988年。ちょうど私が大学生になった時でした。私、自身が10歳のときに交通事故で父親を亡くし、交通遺児の奨学金で大学に進学したのですが、ちょうど、その年(1988年)に、奨学金制度の対象が、災害遺児にも広がりました。「あしなが育英会」はまだありませんでした。そんな背景の中、学生時代は、病気遺児にも奨学金制度を広げたいと思い、自ら街頭に立って募金活動をしていました。就職活動の時には、ジャーナリストや新聞記者になろうと思って、新聞社などを受けていたのですが、就職活動している間に、もう一回きちんと“自分が本当に何がしたいのか”考えないといけないと思ったんです。
――自分自身と正面から向き合ったのですね
はい。そんな時、留学研修の制度を利用して、ブラジルで1年間日本語を教えるボランティアをやりました。普段、自分が生活している場所じゃないところで「自分はどんな人間なのか」、「自分は何をしたいのか」を問いかけたんです。そして、やはり自分は子どもに携わる仕事がしたいと思い、まずは学生時代に始めた病気遺児の奨学金制度を作ることをやろうと決めました。以前から、「あしなが育英会」で仕事をしないか、と勧められていたこともあり、ブラジルへ行っている間に、「あしなが育英会」の玉井会長にお手紙を書いて、「帰国したら働きます。働かせてください」と伝えました。ちょうど、「あしなが育英会」が創設された年でした。すべての遺児が奨学金を借りられる制度を作りたい、そんな団体にしたい、という思いで入りました。だから、実は、制度ができたら早くやめよう、と思ってたんです(笑)。
――「レインボーハウス」での活動を通して「この仕事をやっていて良かった」と思ったことは何ですか?

1995年の阪神・淡路大震災から16年。「神戸レインボーハウス」の設立から今、現在まで「レインボーハウス」を通して、遺児たちのケアを“16年間やめなかったこと”ですかね。その頃、高校生や大学生だった子たちは、もういい大人ですけれど、16年経って彼らが笑顔でいるとか、小さい子が大きくなった、ということが、本当に続けてきてよかったと思います。そして、「あしなが育英会が、16年間、神戸の子たちを見守ってきました」ということは、東日本大震災の遺児への希望になると思うのです。震災で将来が想像つかない人たちがたくさんいて、そんな方たちに「あしなが育英会」の歴史を見てもらうことで、少しは勇気付けられるんじゃないか、と思うんですよね。その部分は、本当に“やめなくて良かったな”と思っています。
――実績が糧になっているのですね。
そうですね。積み重ねてきた部分。特に人間関係は、すぐにはできないですからね。そして、活動が過去形じゃない。「10年間やっていましたよ。そのあとはやっていませんけどね。」じゃない。今も継続していますから。「レインボーハウス」が活動し続けていることが、子どもたちの支えになると思います。「いつでも何かあれば行ける」とか「自分たちのためにあるんだ」ということが。時を重ねたことで、子どもたちが、四川大地震やハイチのときに「一緒に行くよ」と言ってくれたり、今回の地震でも神戸の震災でお父さんを亡くした子がボランティアに参加して支える側に回ってくれた。そこまで成長したことがとても嬉しかったですね。
――逆に、無力さを感じられた時はありますか?
遺児の保護者の方が亡くなったりするのですが、それが一番辛いですね。保護者の方とは「子どもたちを一緒に育てましょう」という同志ですからね。その同志が亡くなってしまうのは辛い出来事です。また、父子家庭や母子家庭の遺児が孤児になってしまうのも辛いです。阪神・淡路大震災である父子家庭の父親が、「僕が死んだら子どもが孤児になってしまう」と言って頑張っていました。そんな風に、保護者の方が無理してしまうことも多々あるのです。だからこそ、さきほどもお話しましたが、「東北レインボーハウス」には大人のケアを盛りこまないといけないと思っています。
――「レインボーハウス」の運営で普段心がけていることはありますか?

子どもたちに一番向き合ってくれるスタッフ(ボランティア)の方たちですね。その方たちを通して「子どもたちがこういう事を言いました、ああいう事を言いました」ということを聞くことはとても大事なことなんです。子どもは一人ひとり見ないといけない部分があるので、そのためには、スタッフサイドのチームワークが一番大切なんです。結局、“仲間”ですよね。チームワークがないと、子どもたちの悲しい想いとか、辛い想いに立ち向かえないのです。
――八木さんが大切にされていることは何ですか?
「自分しかできない事は何だろう」って、ずっと考えていました。阪神・淡路大震災では6千人もの人が亡くなりました。その頃、私は20代でしたが、同じ年くらいの方で、子どもを残して亡くなったお父さんがたくさんいらして、「何で子どものいない僕が生き残っているんだろうか」と思ったことがあります。「こんな可愛い子を残して死んでしまうなんて、どんなに無念だったろう・・・あまり役に立たない人間がいてもしょうがないのに、僕が代わりに死ねばよかった・・・」とまで思ったこともありました。でも、だからこそ、6千人もの人たちの命をどういう風に活かしていけばいいのかを真剣に考えました。そんな想いから、「レインボーハウス」の開設や、遺児たちのケアを進めてきました。今回の東日本大震災でも2万人もの方が亡くなって、その人たちの命、本来だったら続くべきだった命を、残された子どもたちの立場でどう役立たせるのか、それを考えるのが一番大事なのだと思っています。
――今後の活動をしていく中で何か伝えたいことはありますか?
そうですね。一つ心配していることがあります。例えば、マスコミの方が取材をされるときに、取材対象として「お父さんの仕事を引き継いで頑張っている子を紹介してください」と指定されることがあります。また、記事やニュースを読まれる(見られる)方は、明るいニュースを望んでいるという前提で取材が進められることもあります。すでにストーリーができていたりするんです。またある時は、「親が死んだら泣いていなければならない」というイメージで子どもに「何回泣きましたか?」といった質問をしてしまう。そういったことがよくあるんです。むろん、マスコミの方だけではありませんが。そのように大人のイメージが先行してしまうのは心配です。神戸の子たちが、「特別視されるのは嫌だ」とよく言っていました。
――情報を伝えるのは本当に難しいですね。
難しいです。だから、私たちは、子どもたちを守ってあげるだけでなく、「子どもたちを知ってください」という啓発活動も必要だと思っています。私も16年やってきて、一元的に何かを伝える言葉の難しさを実感しています。東日本大震災の遺児の子たちは傷ついてはいるんですが、あまり、そういうことを言ってしまうと余計に傷つけてしまったり、大人が何かしてしまって、二次的に傷つけてしまうこともある。でも、伝えていかないと募金が集まらなかったりする。そういう難しさがあります。だから、バランスをとった総合的な力を使って頑張らないといけないなと思っています。
――最後に、この記事を読まれる方に参画してほしい活動などありましたらお聞かせください。

男性のボランティアが少ないので、男性の方にボランティアをしていただきたいですね。東日本大震災の遺児だけでなく、親を亡くした子たちは全国にいるので、お近くの地域で、ボランティアに参加してください。あとは、やはり、募金へのご協力をお願いしたいですね。
――本日は大変貴重なお話をありがとうございました。
八木俊介さんプロフィール
あしなが育英会職員 1993年入局。あしながレインボーハウス・チーフディレクター
「神戸レインボーハウス」(1999年~)、「あしながレインボーハウス(東京日野市)」(2007年~)の開設より遺児の心のケア活動に携わる。
著書:「レインボーハウスの子どもたち」
落ち着いたトーンでお話されているのですが、中味は熱い想いに溢れていました。「やっていて良かったことは」の問いかけに、「レインボーハウスの活動を16年間続けたこと」と即座に答えられた八木さん。この一言には、子どもたちとスタッフと八木さんと周囲の人々の歴史が刻まれています。そして、この歴史の重みこそが、復興を支えていくと確信しました。
by ニフティ「想い伝え隊」藤本、大空、高沢
@niftyWeb募金では、「東北レインボーハウス」建設のための募金を受け付けております(2011年8月10日現在)。
東日本大震災復興支援募金(あしなが育英会)
http://donation.nifty.com/tokusetsu/service/tokusetsu1/
関連サイトの紹介
●あしなが育英会
http://www.ashinaga.org/index.php
●あしなが育英会 東日本大地震・津波 対応措置
http://www.ashinaga.org/higashi_nihon/index.html#h1593
関連書籍の紹介
八木さんの著書、およびあしなが育英会の関連書籍をご紹介します。
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レインボーハウスのこどもたち―阪神・淡路大震災遺児の10年 |
八木俊介 著 |
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機関紙「NEWあしながファミリー」K |
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あしなが運動と玉井義臣 |
金城学院大学教授・副田義也 著 |
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「黒い虹」-阪神大震災遺児たちの一年- |
筑波大学教授 副田 義也 監修 |
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