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Vol.28 柴田邦臣さん(後編) 町の思い出のアルバムをITを使ってよみがえらせたい

東日本大震災の後、宮城県山元町で泥をかぶった写真を洗浄して持ち主に届ける『思い出サルベージアルバム・オンライン』プロジェクトを立ち上げられた柴田邦臣さん。この活動を始めることになったきっかけやその想いなど、心に響くお話を伺いました。

――日本社会情報学会(JSIS-BJK)で災害情報支援チームを結成されて活動されているそうですね。

【洗浄された写真】
【洗浄された写真】

宮城県の山元町を中心に、『情報』という側面から被災地の支援を行っています。今は特に、『思い出サルベージアルバム・オンライン』というプロジェクトを推進しています。今回の東日本大震災による津波で泥水にさらされたのは家だけではありません。思い出が詰まったたくさんの写真も、泥をかぶってしまいました。その写真から心をこめて泥を掃き、洗浄し複写して、誰のものかわからなくなってしまった写真を持ち主の手元に届ける。それがこのプロジェクトの目的です。

――このプロジェクトを始めることになったきっかけは何だったのですか?

話すと長くなりますが・・・。3月11日の震災の日、仙台に住んでいた頃いっしょにNPO活動をしていた仲の良い車椅子の友人から電話がかかってきたんです。彼はその日は、山元町の友人と仕事で島根に出張していました。それが震災が起こって、宮城に帰れなくなってしまったんです。車椅子の方は自宅では自立生活できても、ホテルで避難暮らしする際には支援が不可欠です。それで二人を羽田まで迎えに行ったのです。そのころは「被災地に帰れない被災された方」が、羽田や東京駅にたくさんいらっしゃいました。

――仙台に帰れない、帰宅難民になってしまったのですね。

いわゆる首都圏で電車が止まった帰宅難民とは異なります。友人たちとホテルで見ていた、テレビから流れてくる震災のニュースは凄まじい状況でした。山元へは電話も携帯も繋がらず、全く連絡が取れません。津波が国道六号を超えたというニュースを聞いた山元町の友人の、「これが本当だったら、家はもうない・・・」と言った時の表情で、私たちが何に直面しているのか、その深刻さが理解できたような気がしました。安全な場所にいる人は、安易に宮城に帰ろうとするべきではない、と言われていることはわかっていました。でも、だから何もしなくてよいとは思えなかった。とにかくご家族の安全だけでも確認しに行く必要がある。そこで車に灯油、電池を積めるだけ積んで、帰りの分のガソリンを携行缶で持参して、15日に新潟経由で仙台に入り、山元町まで行くことにしたのです。

――その時の山元町は、どのような状況でしたか?

【外には自衛隊の装甲車が立ち並ぶ】
【外には自衛隊の装甲車が立ち並ぶ】

3月なのに吹雪いていた笹谷峠を越えていきました。道路状況が悪く通行止めが多数あったので、Googleの通行実績マップと、現地からのtwitterが貴重な情報源でした。役場に到着すると庁舎は壊れていて、災害対策本部はまだテントの中でした。その時にお会いした職員の方々とは、今でも仲良くさせていただいています。外には自衛隊の装甲車が止まり、裏のほうでは焚き火が焚かれ、「とにかく動ける人も物資も足りない」の一言に尽きました。
 幸い、友人の家族はご無事で、再会と帰宅を果たすことができました。皆もらい泣きしてしまって、私もこれまで経験がないくらいに涙が止まりませんでした。でも、ライフラインは止まっていて、ガソリンも灯油も手に入らない・・・。そこに友達を置いて帰らなければならない。ですから、持ってきていた灯油や物資を置いて、「とにかく必要な物は送るし、必ず助け続けるから!」と約束して、東京に戻ってくることになりました。振り返れば、帰り際に涙ぐみながら抱き合った時に交わした、あの時の約束で、ここまで来ているような気がします。

――お友達との絆が今回の活動の始まりだったのですね。

でも、東京に帰ってくると、やはり現地の情報がわかりにくくなりました。マスコミは始めの頃は、三陸と原発ばかりで山元を全然取り上げてくれないし、ネット上の情報も分散してしまっていて全然わからないので、個々人がtwitterなどで発信しているコメントを集めて現地の情報を網羅できるようなサイトを作ることにしました。最初は一人でやっていたのですが、全然間に合わなくて、所属の大妻女子大、さらには日本社会情報学会(JSIS)の研究者に声をかけ、それからは数人のメンバーといっしょに支援活動をしていくことになりました。

――それからまた現地に行かれたのですか?

【山元町の災害対策本部にて、ネット環境に繋げたパソコン】
【山元町の災害対策本部にて、
ネット環境に繋げたパソコン】

細々とサイトを続けていて、ネット上で語られていることと現地の友人たちから得られる情報のギャップが開いていくことを実感していました。「安易に現地に行くな、自衛隊に任せろ」と言われていたけど、地元では「誰でもいいから人手が欲しい」と言われていたり・・・。もう一度きちんと確認しないといけないと思って、3月末に当時新宿から頻繁に出ていた被災地行き高速バス、いわゆる“支援バス”に乗って山元に行きました。そこで、3週間が過ぎようとしているのに状況が好転できていないことに、再び衝撃を受けました。地元はお年寄りが多くそもそもネットに詳しくありません。ネットに詳しい方はご自宅が被災したり、復旧活動で忙しかったりしてパソコンに向かえない。まだ避難所にはネットがなかったですし・・・。現地の情報を定期的に発信するような、常駐の専門部隊が必要だと考えました。

そこで日本社会情報学会(JSIS)の若手研究者支援部会(BJK)に声をかけ、「パソコンが使えてテントが張れて魂が熱い」研究者を誘って「災害情報支援チーム(JSIS-BJK)」を組み、4月5日から山元町役場に常駐することにしたのです。もっとも自分たちには、スキルはあっても機材がありません。そこでMLで知り合ったニフティの社員さんにボランティアをお願いし、リユースパソコンと無線のネット回線を整えてもらいました。ネット企業は研究者にないノウハウをお持ちで、無い資源をどこからか持ってきたり、上手に組み合わせたりして、次々パソコン環境を組んでくださいました。考えてみればニフティさんとは、あの頃からの強い紐帯で、結ばれているんですよね・・・。先も何も見通せなかったテント生活についてきてくれて、次々と物資を提供してくれたニフティのみなさんの、熱い思いには本当に感謝しています。そういえば阪神大震災の頃のパソコン通信でもお世話になっていました。まさに日本を代表するネット企業のDNAですね。

――そう言われるとやりがいがあります。ところで、『思い出サルベージアルバム・オンライン』を始めることになったきっかけは・・・?

【海水をかぶって泥だらけになった被災地のアルバムや写真】
【海水をかぶって泥だらけになった
被災地のアルバムや写真】

JSIS-BJKの常駐部隊は若手研究者・院生がローテーションして、当初は避難所のパソコンメンテナンス、プリンタの設置と管理、災害コミュニティFMりんごラジオのblog運営などを続けていました。そのうち、あらゆるパソコンニーズが私たちのところに集まるようになったんですが、中でも写真の印刷、取り込み等、写真に関するニーズが増えてきました。ある時メンバーの一人が、がれき撤去をした自衛隊によって、路肩にアルバムやご位牌が置いてあることに気がついたんです。津波の場合、地震と違って、自分の家のところに自分のものが埋まっているわけではありません。お年寄りの方が集落の中を歩き回っているんですが、どうも写真を探していらっしゃるらしいということがわかりました。山元町は高齢の方が多いので、写真をデジタルデータで持っているわけじゃないんです。流されたアルバムが、みなさんの唯一のものなんです。だから、結婚式や新婚旅行の思い出が、その中に全部入っているんです。

――アルバムには思い出が詰まっているんですね・・・。

【心を込めて写真をきれいにしていく】
【心を込めて写真をきれいにしていく】

話を聞いてみると、ほとんどの方が泥だらけで折れ曲がった写真を持っていらっしゃいました。アルバムごと濡れてしまって、なんとかきれいに剥がせたものだけ取って、後は燃やしてしまったという話も聞きました。「思い出にバイバイだよね」って言われた時の、その表情に、本当にショックを受けて・・・大変な事態が起こっていたことに気がつきました。海水をかぶっているわけですから、そのままだと塩で変色したり、カビが生えて劣化していくだろう。必死の思いで拾い集めたものなのに・・・自分なら耐えられないと思ったんです。今の状態を再印刷するだけでも、保存は可能です。そこで試しに、数枚の写真をお預かりして洗ってお返ししたい、と申し出たんです。でも泥をかぶった写真は、思ったよりきれいにはならなくて・・・そこで富士フィルムさんに電話をして、写真を洗うノウハウや機材を提供していただくと共に、フォトレタッチのためのIT機器を持ち込むことにしたのです。その時に、洗った写真をスキャナして、ネットを介して東京に送り、うちの大学(大妻女子大学)の学生たちがレタッチをして現地にお返しする、ということを始めました。少しでもきれいな状態に戻してあげたかったのです。

――そこで、写真洗浄の活動に繋がるのですね。

【大学生ボランティアも参加】
【大学生ボランティアも参加】

私たちは学術学会なので、単なる写真洗浄だけで帰ってきてはいけないと思いました。失われてしまったからこそ、新しく得られるものがあってもよい。それがITなら、社会情報学会にとってもどんなによいだろう、と考えています。洗浄したからといって写真の劣化が止まるわけではありません。またアルバムによっては洗浄してしまうと、せっかく残っていた写真の表面が流れて、無くなってしまうものも存在する。その場合、現状を留めるには複写しかない。今はプロのフォトグラファがボランティアで複写してくれています。仮にオリジナルのアルバムが劣化してしまっても、デジタルで保存できます。またそもそも、20万枚を優に上回るであろう被災写真を、一枚一枚見て探し出すのは難しい。そこで最新の顔認識技術を導入したり、キーワードで検索可能にしたりできるようにして、探しやすさを改善させる予定です。被災は起こってしまったけれど、だからこそ山元に最新のITが導入されたといったことが、もっとあってもいいと思うんです。中学校で最新のレタッチ技術を学ぶ授業をしよう、という話もあるんですよ。

――子どもたちにとっても、貴重な経験になりますね。

これも私たちの目的です。山下・坂元の両中学校とは連携していて、すでにたくさんの写真を洗浄してもらうことができました。実は中学生たちは、洗浄がとても上手なんです。私たちよりうまいくらい。きっと「地元の思い出を助ける」という気持ちの入り方が違うのかも、と思っています。中学校で洗浄させてもらうと、いろいろな「語り」も生まれるんですよ。指導の先生が次々卒業生を見つけてくださったり、中には生徒さんが校長先生の写真を見つけたりもしました。写真は個人の「思い出」というだけでなく、それをみんなで見て「語り」、次世代に繋いでいくという役割もあったんですよね。中学生に参加してもらうことで、「こういう神社のお祭りがあって・・・」とか「この時はこんな面白いことがあって」といったような話にもなるかもしれない。そこでの驚きや感動、「地域の歴史」の連なりを子どもたちに体験してほしいと思っているんです。自分が山元で生まれて、その歴史の一部なんだ、それを継ぐ者の一人なんだ、という意識を生むきっかけになれれば、本当にうれしいですね。

――『思い出サルベージアルバム・オンライン』ですね。

【洗浄した写真は1枚ずつ丁寧に干す】
【洗浄した写真は1枚ずつ丁寧に干す】

思い出のアルバムをサルベージ(※)する、という意味では、『思い出アルバムサルベージ』なんですが、『思い出サルベージアルバム』と名づけたのは、助けられた思い出が集まったアルバムとして復活してほしい、という発想だったんです。そのアルバムは、流されてしまった写真・アルバムを本来の持ち主にお返しするためのアルバムです。流されてしまった量は膨大で、個人の力では見つけられない。だから発見のためにも「繋がりの力」が大事だと思うんです。今のところ一番よく見つかる方法は、「自分のはまだだけど、知り合いのがあった」というもの。それを問題ない範囲でIT上に書きとどめ、検索していただけるようにしたいと思います。被災アルバムは重たく、お年寄りがめくって探すのは大変です。スライドショーにしてゆっくり見ていただいたり、仮設住宅の集会場でご家族と探していただくといったオンラインで可能になる機能も考えています。そこに「あの時、こういうこと、あったね」って会話が起こる。その会話や繋がりが、山元の歴史をさらに伝承していってくれると思うんです。流されたアルバムは個人の思い出だけじゃなく、街の記憶や地域の歴史でもあった。ITなら、その再スタートに貢献できると思うんですよね。

そもそも、あの状態のがれきの中から回収できたというだけで、一つの奇跡なのかもしれません。だから私たちは徹底的に、最後の一枚まで返却するために働いています。そしてだからこそ、「やさしい展示」を心がけたいと思っています。それは「探しやすさ」という意味でもあるし、語りや繋がりを感じさせる工夫をして、少しでも気持ちを癒していただけたら、という意味でもあります。思い出、記憶、そして心を「繋ぐ」ようなアルバム返却を、情報技術で支えていければ。そう思っています。

※サルベージ:遭難した船の人命・船体・積み荷などを救助すること。

――1枚でも多くの思い出の写真が持ち主の元に戻ることを心から願っています。ありがとうございました。

柴田 邦臣さんプロフィール
大妻女子大学社会情報学部准教授、日本社会情報学会(JSIS)理事。専門は、福祉情報論、ICTメディア研究、社会情報学。東北大学大学院文学研究科人間科学専攻にて博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員を経て、現職。東日本大震災後、日本社会情報学会(JSIS-BJK)災害情報支援チームを結成し、山元町を中心に『情報』の面から被災地支援を実施。

ボランティア活動を通して知り合った仲間との友情から始まった『思い出サルベージアルバム・オンライン』プロジェクト。きれいに復元された写真が、みなさんの心を温めてくれることを願わずにはいられません。そして、お話を伺いながら、自分にできる支援を何かしていきたいと、あらためて感じさせていただいたインタビューでした。

by ニフティ「想い伝え隊」大空、田代、高沢

「柴田 邦臣」さんからのお知らせ

関連サイトの紹介

● 日本社会情報学会(JSIS-BJK)災害情報支援チーム
  http://jsis-bjk.cocolog-nifty.com/

● 「思い出サルベージアルバム・オンライン」プロジェクト紹介動画
  http://www.youtube.com/watch?v=DYk5EhBJ_JI

● 災害臨時FM 「りんごラジオ」 ブログ
  http://ringo-radio.cocolog-nifty.com//

● 柴田さん ツイッター
  http://twitter.com//#!/shiba_zemitter

● 大妻女子大学 社会情報学部 社会生活情報学専攻
  http://www.sis.otsuma.ac.jp/liv-c/teacher_shibata.html


関連書籍の紹介

柴田さんの関連書籍をご紹介します。

『現代思想2011年1月号 特集=Googleの思想』152-170
『現代思想2011年1月号 特集=Googleの思想』152-170

柴田邦臣
「装置としての〈Google〉・〈保健〉・〈福祉〉―〈規準〉で適正化する私たちと社会のために―」
出版社:青土社
発行年月:2010年12月


みらいに架ける社会学―情報・メディアを学ぶ人のために みらいに架ける社会学―情報・メディアを学ぶ人のために

柴田邦臣2006b,
「メディア・リテラシー―社会に参加する知の積層―」
ISBN:978-4623045419
早坂裕子・広井良典編著
出版社:ミネルヴァ書房


社会学のつばさ―医療・看護・福祉を学ぶ人のために 社会学のつばさ―医療・看護・福祉を学ぶ人のために

柴田邦臣
「情報・メディア・プライバシー―『生活の情報化』をどう生きるか」
ISBN:978-4623056309
早坂裕子・天田城介・広井良典編著
出版社:ミネルヴァ書房

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コメント

とても、根気のいる仕事ですね。でも、大事にしていた思い出の写真がもどった被災者の人たちが笑顔になって、すこしでも希望が湧いてきたら、とてもうれしいですね。復興の活力にもなると思います。すばらしい記事ありがとうございました。

投稿: 寅次郎 | 2011年6月17日 (金) 07時45分

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