元京都女子大教授で家具の歴史を教えておられた小泉和子さんが館長を勤める昭和のくらし博物館(東京都大田区)は、昭和30年代の香りに満ちています。今回は小泉さんに昭和のくらし博物館や昭和30年代のくらしについてお聞きしました。
――昭和のくらし博物館を始めたきっかけを教えてください

博物館になっている場所は、私たち家族が住んでいた家です。昭和25年に住宅金融公庫が発足して、東京都の設計技師をしていた父が設計し、昭和26年8月に住宅金融公庫の融資をもとに建てた家です。その後両親も亡くなり、妹たちもお嫁にいったりして平成6年には空き家になりました。その頃、私は文化庁の建造物を扱う部署の文化財専門委員っていうのをやっていたんです。文化財として扱う住宅というのは本当に立派なものばかりなんですね。そうじゃなくて、普通の庶民が暮らしている家っていうのを残しておかないといけない。それで振り返ってみると私自身が住んでいた家。それは戦後の庶民住宅として代表的な公庫住宅である。そしてその時代の民家がどんどん壊されていく。もう一つはそこでどういう生活が営まれていたのかという生活という視点が必要。なので、そこで営まれていた生活も含めた形で住居を残そう。そういう気持ちから博物館という形で公開することにしたんです。
――昭和のくらし博物館のテーマとなっている昭和30年代のくらしとは
今、昭和30年代の生活というと映画「三丁目の夕日」のようにノスタルジックに語られることが多いですが、もちろん当時はそんなことを考えて暮らしていたわけではありません。日常生活を思い出してみると・・・、うちの場合、水は出ない、ガスは出ないというものでした。それは本当に不便でしたけれども、嘆いていたわけではありません。就職にしても、いったん就職したら終身雇用制でした。それから、その当時はもう絶対に戦争はないだろうと思っていましたね。それに対して、現代の社会というのはすごく先行き不安ですね。就職のあり方も違ってきています。一方ではものすごく贅沢なくらしがあり、その一方で貧困がある。それから、人との間が開いてしまった。そういう風な、なにか殺伐たる気持ちとか、冷たい感じとか閉塞感、不安感とかいやな感じというのが、当時はあまりなかったように思いますね。
――女性の社会進出という点ではどうだったんでしょう

女性の場合、それまではまだ結婚しか行く道がなかったんですね。でも、少しずつそうじゃなくなって女性が目覚めてきて解放ということを知った。だから、開放されない状態が束縛という風に感じるようになっていったんです。終戦の時、私は小学校6年生でしたから、中学、高校と女性の生き方が変わっていったのを見ていたんです。ですから私も新しい生き方を求めていったわけですが、それに合うものがない。就職口もあまりなかったし。なので、かなり戦わないと新しい生き方は得られないと考えていましたね。だけどくらしという側面からいえば、普通の日常の生活は楽しいという感じがしましたね。きっといわゆる中流の家庭だったら、どこでもそうだったと思います。
――何が楽しさにつながったのでしょう
当時は何でも「ものを作る」っていうところに楽しさがつながっていたように思うんですね。食べ物も、着るものも。人間というものは、「ものを作る」ということに根本的な喜びや楽しみを感じると思うんです。それが今は作らなくてもすむ。作るよりもできているものを買ってくる方が安いので、どうしてもそちらに流れてしまう。でもそれは違うと思います。生活の中に自分で工夫してものを作るというのがあの時代の特徴で、それが喜びの源泉だったような気がします。
――何でも自分で作っていたんですね
昭和30年代は戦争直後のように食うや食わずの時代じゃありません。ご馳走というほどじゃないけれども、例えばひじきの煮つけやイワシの焼き物とか、今から思えば健康食でしたね。そうして昭和30年代なかばになって、ハンバーグやサラダのような洋食が一般家庭に入って、食事が豊かになってきたんです。そんな中で、とにかく何でも自分で作って暮らしていた。それに作り直すということも。例えば、傷んで着られなくなった着物の布地を使って座布団を作ってみたり。そういう風に工夫しながらものを大事にしていたんです。今、殊更にリサイクルとかリユースとか言われていますけど、その当時は、それをみんなが当たり前のこととしてやっていたんですね。お金がなかったということもありますが、そうして手間をかけ工夫することに楽しみを見出していた。それがくらしという視点から見た昭和30年代という時代だったと思います。
――文化という観点から見た昭和30年代とは

もともと日本の文化の中には「贅沢」というのはなかったんです。極論すれば日本文化は貧乏を洗練した文化なんです。というのは、日本という国はそんなに金持ちになったことはなかったんです。国が金持ちになるということは、戦争で他国の領土を植民地にするか、他国と貿易するかということなんですよ。それを近代までの日本はやらなかった。やらなかったけれども、四季があって自然に恵まれていた。だから、そこそこ食べていける。自然が日本人にとっては優しい存在だったわけですね。だから日本人は自然が良く、人工的、不自然というのは良くないと、そう思ってきたんです。その中で、細やかな文化を育ててきた。茶室なんかは代表的ですけど、農家のような家を精錬し美しくした文化を持っている。そうして見ると、今のような便利さはなかったけれども、電化製品もそこそこに使い、食事も栄養的にバラエティーにも富んできたし、生活も贅沢ではないけれども少し楽。そういう昭和30年代のくらしが日本人には一番マッチしていると私は思います。それともう一つ、戦前だと家父長制度に帝国憲法でしょう。それがなくなって平和憲法で民主主義で男女平等でという、そういうバックグラウンドが変わったというのも特徴ですね。無茶苦茶な男尊女卑、家制度。そういうものがなくなって民主主義になった。それにみんな戦争はこりごりでしたから。そういう意味で、温故知新と言いますか、昭和30年代の良い部分は学ぶべきだと私は思いますね。
インタビューした昭和のくらし博物館は、本当にゆっくりと時間が流れていました。インタビューの後で、庭の木になっている夏みかんをその場でもいでいただき、ご馳走になりました。それはすごく贅沢な瞬間。本当の意味の豊かさがそこにありました。後半は、小泉さんの研究者としての半生や昭和のくらし博物館への思いをうかがいます。お楽しみに。
by ニフティ「想い伝え隊」久保田、浦田
博物館、オフィシャルサイト、イベントの紹介
●昭和のくらし博物館
住 所:〒146-0084 東京都大田区南久が原2-26-19開館時間:10:00~17:00(月曜、火曜は休館)
入 館 料:大人500円、高校生以下300円
最 寄 駅:東急多摩川線下丸子、東急池上線久が原駅より各徒歩8分
電話 FAX:03-3750-1808
メ ー ル:showalhm@a03.itscom.net
●昭和のくらし博物館土曜夜間講座
小泉和子が語る家具の歴史
建築家 藤井厚二の仕事
場 所:昭和のくらし博物館 座敷
定 員:40名(電話、FAX、メールにてご予約ください)
受 講 料:1000円
電 話:03-3750-1808
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