シンガーソングライターとして活躍しながら、アフリカやアジアの発展途上国に学校を建設するなど、熱心に国際協力に取り組まれている川嶋あいさん。今回は、たとえ自己満足でも何もしないよりは行動したい・・・という川嶋さんの支援活動に対する想いについてお話をお伺いしました。
――昨年実施されたチャリティーソングクリック募金や、現在展開している「大丈夫だよ応援団」の「発展途上国に学校建設を行なう」プロジェクトについて教えてください。

チャリティーソングクリック募金ですが、“クリックで救える命がある”というクリック募金の主旨に心を動かされて、「カケラ」という曲を提供しました。「カケラ」は考えて、考えて、考え抜いて、私なりの魂を込めて作った曲です。第1弾が2008年5月~7月、第2弾が7月~10月に実施されました。第1弾で集まった100万クリック(100万円)はNGOピースウィンズ・ジャパンによるリベリアの学校建設プロジェクトに使われていて、今まさに学校が建てられているところです。また、第2弾の寄付額は東ティモールの学校建設に使われることが決定しました。
「大丈夫だよ応援団」は今年4月にリリースする曲「大丈夫だよ」とチャリティブック「大丈夫だよ」に賛同してもらうことで集まる資金をもとに、発展途上国に学校建設を行なうというものなんです。
――現在、学校建設を中心とした国際協力活動をされていらっしゃいますが、そういった活動に興味をもたれるようになったきっかけは何でしたか?
中学2年生のときに、貧困とか飢餓で苦しんでいる人たち、アフリカの人たちの映像をテレビで見たことがきっかけですね。二の腕の太さが、へたしたら1円玉くらいしかないような子供たちの映像が映されていて。せっかく生まれてきた命が瞬く間に消えてなくなってしまう。すごく衝撃的でした。
――具体的な支援活動を始めたのはいつくらいですか?また、その時になぜ学校建設を選択したのですか?
ずっと本とか読みながら、どうすればいいのかなぁ?と思っていたんですが何もできなくて・・・。高校生になって、何人かのNGOの方に会いに行き、物資援助や、衛生面の充実とか、学校建設などいろんな支援のやり方があることを教えてもらいました。その時に教育が一番重要だというお話を聞いたんです。教育があることによって、子供たちが明るい未来を持つことができますし、夢がひろがっていく。それで学校を作りたいと思いました。
――実際に学校を作られたのはいつですか?

19歳のとき初めて、NGOの人たちと一緒にアフリカのブルギナファソということころに学校を作りました。去年(2008年)はカンボジアに学校を作りました。
――学校が建てられた現地には実際に行かれたのですか?

ブルキナファソには行ってないですが、カンボジアは行きました。学校が建てられた地域は、電気も水道もないような本当に貧しい村の中なんですが、子供たちはすごく無邪気で、笑顔も明るくて・・・。その日がちょうど開校式で、村の人たちがみんな歓迎してくれて、子供たちもワァーと走ってきて迎えてくれました。
今、裁判が始まったポル・ポトの名残がすごく強くて、まだ悲しみから抜け出せない爪あとがたくさん残っている場所でしたが、純粋に先生になりたいという夢を99%の子供たちがもっているような感じで、とてもやさしくて意志の強い人たちが多いなぁと思いましたね。
――今後、お考えになっている国際協力活動についてお聞かせください?
学校を作ることは今、中心となる活動なので、今後も続けていきたいと思っています。毎年1校作る!というのが目標ですね。今年は先ほどお話ししたとおり、リベリアに1校できる予定です。
あと、実際に現地に行って、世界には本当にひどい残酷な現実があるという真実に向き合って、自分に何ができるのかというのを考えられればと思っています。やっぱり、まずは知ることから始まると思うので。それで、自分ができることを探したいですね。
私自身も含めて、今の日本は平和ボケしていると思います。世界に、見過ごしてはいけない現実がきっとあると思うんです。ほんの小さなことでもいいので、少しでも関心を持ってもらうことが重要だと思います。きっと、ひとりひとりができることってあると思いますし、それによって作り出される子供たちの笑顔とか、救われる命ってあると思うので、まずは知りたいし、広くみんなに知ってもらいたいですね。
――国内でも阪神大震災後10年の街でライブをされていますよね。
阪神淡路大震災の時、私はまだ小さくて、しかも神戸から遠く離れている福岡に住んでいたのですが、とても衝撃的でした。震災の後、両親が段ボール何箱もの義援物資を被災地に送っていたのを覚えています。そんな両親のもとに育った私は、行動することで人の心は動くんだと思っています。
神戸でライブをしてわかったんですが、10年もたっているのに、被災された人たちはみんな、心の中に暗い影を背負って生きているんです。行ってみてよくわかりました。
――中越地震の時は余震が続いているのに新潟に行かれてライブをされたとお聞きしています。実際に現地に行かれようという思いはどこからきているのですか?
中越地震の時は、もう純粋に行かなきゃと思って行ったという感じです。
被災地には多くのマスコミの方もいらっしゃっていて、そこで取材の申し込みがあったのですが、私は結局断ってしまいました。「偽善だとか売名だとか思われたくない」と思う一方「何かをしたい」と思っていて、そのときは取材を拒否することで思いを遂げたつもりでいました。
避難所では80才くらいのおばあちゃんが私の歌を聴きながら涙を流してくれるんです。たくさんの言葉をもらって、逆に励まされました。そんな体験をして、「売名だと思われてもいい、偽善と思われてもいい。なんと思われようが、一人でも励みになってくれる人がいればいい。」と心から思いました。そして、私はひとりの人間であるとともに、歌手としてたくさんの方にみていただく背中を持っているんだということに気づいたんです。
後編では、川嶋さんの生い立ちや歌手デビューまでの道のり、路上1000回ライブ達成などについてお話を伺います。お楽しみに。
by ニフティ「想い伝え隊」宮坂、浦田
ブログ、ホームページの紹介
●音楽総合サイト @nifty MOOCS「川嶋あい特集」
●川嶋あいさんのオフィシャルサイト「川嶋あい My Room」
●川嶋あいさんのオフィシャルブログ「川嶋あい“ひとこと”」
●川嶋あいさんのブログ「川嶋あい オリコンブログ」
●川嶋あいさんが参加する貢献プロジェクト「2025プロジェクト」
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