自分は太陽、自分に解決できない問題はない、と断言される玄秀盛さん。すべて断定的な話ぶりからは、計り知れない壮絶な人生経験を積んできた男の自信とパワーがぐんぐんと迫って来ます。後編では、玄秀盛さんの生い立ちや、今後の活動の抱負についてお話を伺いました。
――その無常観と人を救うということの関係についてもう少しお聞きかせいただけますか?
苦しんでいる人達の問題は、言うたら悪いけど、結局、耳かき一杯程度のことやねん。オレからすれば取るに足らんことで死んだり、殺したり、傷つけたり、まあ結局金絡みの話や。みんな一緒や。みんな金に色めきたったり、心が転んだりする。金(カネ)本位主義のなせる業や。オレもな、前は金儲けへの執念、執着があったんや。いつも何かを求めていた感じや。でも、金稼いで欲しい物が手に入ったらそれで終わり。「ああ、こんなもん?」って突然どうでもよくなる。何かいつも変な感覚があった。金なんてその程度のもんや。みんな何でそんなもんに縛られて苦しんんだり、被害にあったりすんねん。オレは金によって世の中のあらゆる経験をしてきた。そしてその虚しさをわかってる。だったらその経験と知恵を元にみんなの苦しみを取り除いてあげます、ということや。
――玄さんがここに至るまでの半生は非常に複雑だったとお聞きしますが、子供時代は随分ご苦労なさったようですね。

オレは韓国からの密航者の父親と、在日韓国人の母親との間の子で、生まれてから5年間も出生届が出されてなかった。ものごころついた頃から十代の後半まで4人の父親と4人の母親の間を行ったり来たりで誰にも可愛がられなかった。親からの体罰、虐待は日常茶飯事で何度も家出しては公園や川でゴザ敷いて寝てた。とにかく毎日食うことが先決で小学生の頃から新聞配達したり、、、悪いこともやった。何とか生きていくという人間の本来の生命力やったんやろな。早く家から逃げ出したい、早く大人になりたい、大人になって金稼いで腹いっぱいメシ食いたいっていつも思ってた。
――太陽の力とも言われていた今のパワーはその頃から培われたんですね。
小さい時から自分のことは自分で守らなあかんという生活やったからオレには甘えがない。弱いが故の守りやねん。それを人は強さって言うかもしれないけど、最初から強い人間は絶対におらん。弱いからどう生きるかを自分で考え、実行してきただけや。
――人間不信には陥りませんでしたか?
もともとオレには人を信用するという起点がない。不信じゃなくて、オレしか信じてない。もっと言えば、人に対していつも何を思っていたか?おまえらみんな帰る場所があるやろ、ぬくもりがあるやろと。オレにはない。オレはどこへも逃げられへんし、踏みとどまるしかない。最後に自分を救えるのはオレしかなかったんや。
――厳しい少年時代を過ごされた後は?
中学を卒業してからは自動車修理工、寿司屋の見習い、パチンコ屋店員、、、なんでもやった。それから大工の見習いを経て25歳で会社起こして日雇い労働者の手配、いわゆる人夫出しを始めた。この後にサラ金、手形金融、車金融もやり始めた。この世界は殆どやくざとの争いで、しょっちゅう潰しにかかられたけど、オレには上にのし上がろうというエネルギーがあったんや。絶対に負けへんかったし、どこの傘下にも入らへんかった。しかも、金儲けには人一倍の執着があったから「銭ゲバ」よりずっとえげつないやりくちで無茶苦茶儲けるようになってた。
――30代で比叡山延暦寺の酒井大阿闍梨(おおあじゃり)のもとで得度されて、阪神大震災の時はテント村でボランティアをされていたそうですが。

得度は33歳、その後36歳の時に阿闍梨さんの東北地方巡礼で29日間、1600㎞を歩いた。歩き通しはさすがにきつくて自分との戦いやった。何度も止めようと思ったが、そのたびに子供の頃のみじめな生活を思い出して乗り切った。弱い自分に勝ったと思った。阪神大震災の時は、半年間テント村を仕切ってた。当時経営していた会社の寮の風呂に入ってもらったり、被災した住民の相談に乗ったりした。震災では、家族、命、家、財産など一瞬で消えてしまう、価値がなくなってしまうという虚しさ、はかなさ、そして人のぬくもりを感じた。
――その後、関西の拠点をたたんで東京に出てこられたわけですね。そして、受けられた献血で新たな運命が展開されるという・・。
そう、東京でも交渉人みたいな危ない仕事をしていて命も狙われたこともある。平成12年にたまたま受けた献血で、HLTV-1という白血病を発症するウイルスが見つかった。これが転機やな。発症したら余命1年やから。それまでの金儲けへの執着がみるみる引いていった。オレの生きた証は何やねん、オレは世間に対して何ができるねん、と問い始めた。そして、オレの強みは、今までの人生の数奇な運命の下でのさまざまな経験やないかと。誰にも相談できずに泣いている人、切羽詰まっている人たちを救うための相談に、オレという人間まるごとを活かせないかと考えた。それでNPOとこの駆け込み寺を作った。
――著作にもありましたが、設立から軌道に乗るまでは壮絶なものでしたね。まさに玄さんの人生はこの駆け込み寺をやるためにあったのだと思いませんか?
全く。天命というか運命というか今までの苦労、経験、知識、知恵で無駄になってる物はない。45年間、本当に数奇な運命をやらしてもらってよかったと感謝してる。
――今、ボランティアの世界に身をおかれていて、日本をどのように見られていますか?
人を助けるということは煩わしくて、しんどくて、怖くて、食えなくて、やってどうするのという考えが頭に先によぎるから誰もやらない。本当は宗教がやってもいい筈や。もともと、日本にはムラという本来の社会保障、助け合いの精神というのがあった。それがすべて崩壊して急に文化も精神も欧米化してしまった。先進国で一位の長寿国でありながら毎年3万人の自殺者がいる自殺大国や。この矛盾に誰も何もできてない。宗教家自身も迷っているから誰一人救われへん。マザー・テレサも現れない。そんな中で、オレは人を助けることにおいても欧米のボランティア定義とかに侵略されずに、オレのやり方で人助けをする。器だけではない、仏を作って魂を入れたる、というのがオレのスタンスや。
――このセンターの運営は資金的にはどうですか?

そら厳しい。でも仲間がだんだん増えてきて支援してくれる人も居れば、困っているときには、微々たるもんでも助けてくれる人も居る。だからおかげ様でこうして生きながらえてます。ある人が「玄さん。黒字になったらどうします?」って聞いてきたんや。答えは簡単。まず年中無休にする。もっと増えたら12時間営業にする。もっと増えたら相談料を無料にする。さらに増えたら24時間営業にする。簡単や。資金が増えたら増えたで使い途はある。
――それでは最後に今後の抱負をお聞かせください。
この年末に考えたんや。これまではどこかで突っ張っていたところがあるので、これからはどんどんマルくなっていくべきやと思ってる。そして体力的にも限界やろうし、55歳の定年まではやったろうって。そしてちょっと最後は人生最終章を振り返って静かにしたいなと思う。あと40か月、本当にやるなら自分をより高く持って行き、もっと上から照らす、太陽やったらもっと上に輝いているべきやと思ってる。だから今年からはもっともっといろんなところに顔を出して一人でも多くの人を照らしたろうと思う。
――玄さん、お幸せそうですね。
はい、全く。人生楽しい。
――きょうはどうもありがとうございました。
玄秀盛さんの穏やかな話しぶりの中には世の中の矛盾に対する静かな怒り、苦しんでいる人々への慈愛が溢れていました。ご職業は?と問われたら「駆け込み寺の住職」と答えると話されていましたが、まさに、玄秀盛さんは誰にも真似ができない「玄さん」という職業のプロ、すなわち唯一無二の存在です。「玄さん」、更に高く、明るくなって世の中を照らし続けてください。
by ニフティ「想い伝え隊」岡本、宮坂、小出、浦田
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