本文へジャンプします。


RSSを表示する



Vol.05 田沼武能さん(前編) ライフワークは「世界の子どもたちを撮ること」

「世界の子どもたちを撮ること」をライフワークとして、これまでに120カ国以上の人々を撮影し続けている写真家の田沼武能さん。ユニセフ親善大使・黒柳徹子さんといっしょに25年にわたり世界を旅して見てきた人生のさまざまなエピソードやライフワークについてのお話を伺いました。

--先月、黒柳さんのユニセフ親善訪問にご同行されて、カンボジアに行かれたそうですが、20年前との違いなどはいかがでしたか?

20年前カンボジアの孤児院(おんぶしてほしい子どもたちを背中に乗せる黒柳さん) 1988
【20年前カンボジアの孤児院(おんぶしてほしい
子どもたちを背中に乗せる黒柳さん) 1988】

1984年に黒柳さんがユニセフ親善大使になられて以来、毎年いっしょに行って子どもたちの写真を撮っています。これまでに28カ国以上の国を訪ねました。今年は20年ぶりに2回目のカンボジアに行きました。20年前は、戦争の後でまだポル・ポト派がくすぶっていた時代。夜になると犬も外を歩いていないような状態でしたが、今は、夜も明かりがついて賑やかでした。子どもたちは、学校に行けるようになってきてはいますが、卒業する前に働きに行って止めてしまう子が結構多いそうです。カンボジアはメコン川に水がたくさんあって稲ができますから、戦争をしなければ生きていく分には事欠かないと思うんです。ただ、貧しい人が多く、衛生面の問題などもいろいろありますね。予防接種なども巡回してやってはいますが、マラリアにかかる子も多いそうです。でも、元気な子どもたちもたくさんいました。

(今回のユニセフ視察のテレビ番組「虐殺の後遺症いまも ~黒柳徹子のカンボジア報告~」 
2008年8月3日(日) 午後2時~3時25分 テレビ朝日系列にて放送)

--アフリカにも何度も行かれていらっしゃいますが、特に印象に残っていることなどありますか?

写真集『アフリカ 子どもたちの日々』より手製のギターで ザンビア 1992
【写真集『アフリカ 子どもたちの日々』より
手製のギターで ザンビア 1992】

先月の写真展(横浜)では、アフリカ23カ国の子どもたちの日々の暮らしを撮ったものを展示しました。写真集『アフリカ-子どもたちの日々』を見ていただくとわかりますが、アフリカの子どもたちは、貧しいんですけれど陽気なんですよね。厳しい生活環境の中でも、いろいろ楽しいことを作って、ちょっとしたことで「あそび」を生み出しているんです。たとえば、牛追いをやっている子どもたちは、牛が草を食べている間に石を蹴って、それがサッカーボールの代わりになっていくとか。物がなくては遊べないなんてことはないんです。ここにもあるように(左写真を示しながら)工夫しておもちゃを作ったり、遊びを生み出していく。

写真集『アフリカ 子どもたちの日々』よりソマリアからの難民 エチオピア 1992
【写真集『アフリカ 子どもたちの日々』より
ソマリアからの難民 エチオピア 1992】

特に印象に残っているのは、1992年にエチオピアに行ったときソマリアから逃げてきた難民の親子です。こんなにやせ細った子どもを見たことがなくて、強烈な衝撃でした。この子は「国境なき医師団」の緊急診療施設に入院しましたが、診療テントには重度の栄養失調の子どもがたくさん入院していました。ソマリアは内戦がずっと続いていて、なかなか行くことができなかったんです。2002年にやっとソマリアに入ることができましたが、その時も首都のモガデッシュは危なくて入れず、北部のハルゲイサという町を中心に視察に回りました。内戦や紛争が続いたら、戦争の負を国民が背負わなければならない。国民の中でも子どもや女性、お年寄りに風当たりが強くなるんですよね。そして、いつまでたっても国は良くなりません。戦争というのは、人殺しと破壊ですからね。

(大阪で写真展を開催 田沼武能写真展『アフリカ-子どもたちの日々』
2008年7月25日~7月31日  富士フイルムフォトサロン・大阪)

--このように「世界の子どもたちを撮る」というライフワークを選ぶことになったきっかけは?

昭和30年代、マスコミの仕事が次々と飛び込んできて、いわゆる売れっ子だった頃、師匠である木村伊兵衛先生からこう言われたんです。「いつまでもそんなことをしていたら、お前はマスコミにつぶされてしまうぞ。今はお前を時代の寵児としてもてはやしているが、チューインガムと同じだ。やがて味がなくなれば、ぽいと捨てられる。」これは胸に突き刺さりましたね。写真家の場合、注文されて雑誌の仕事をする場合と、自分の考えで撮った作品を売っていく場合と2通りあって、木村先生が言うには、“自分のアイディアで撮った作品を売っていくようにしないと、若い写真家が出てきて、みんなそっちに行ってしまう”ということをチューインガムに喩えて言ったのだと思います。そして、ちょうどその頃、『ライフ』の話がやってきたのです。

--『ライフ』といえば当時、グラフ誌の最高峰でしたよね。

『真像残像 ぼくの写真人生』よりブローニュの森で 昭和41年
【『真像残像 ぼくの写真人生』より
ブローニュの森で 昭和41年】

そうなんです。子どもの頃から憧れていた『ライフ』の写真家にならないか、という話が来まして、それで、タイム・ライフ社と契約をしたんです。それから1週間ニューヨークで研修を受けた後、1週間休暇をやるからどこに行ってもいい、というので、僕はかねてから行きたかったパリに行くことにしました。日曜日の朝、のんびりしようとブローニュの森に行くと、両親とピクニックに来た子どもたちが遊んでいて。その好奇心あふれた輝く瞳に魅せられて、僕はいつの間にか写真を撮っていたんです。

--ライフワークを決定づけるような出来事だったのですね。

はい。それからもう一つ、ニューヨークの近代美術館が企画構成した『ザ・ファミリー・オブ・マン』という写真展を見たこと。これを見て、そこに映し出されている世界の人々の飾らない地のままの表情や人生のドラマや喜怒哀楽などの人間愛に感動したんです。そこで、世界の子どもをテーマにそんな人間ドラマを撮りたい。そう思ったとき、僕の写真家としてのライフワークが決まったのです。

--まさに『ザ・ファミリー・オブ・チルドレン』ですね。

そうですね。あの頃、日本人は外貨を稼ぐ人しかなかなか海外に行けない時代でしたが、僕はたまたまアメリカの出版社で仕事をしていましたから、海外取材ができる。やらない手はない。自分ならできる。そんなふうに考えたんですね。世界の子どもを撮るということは、その国の社会がそこに映し出されるんですね。子どもは大人と同じ社会の風を強く受けていますから、子どもの姿を撮るとその国の社会が見えてくると僕は考えたのです。

【次回予告】
 田沼さんのインタビュー(後編)では、人生に大きな影響を与えた日本の一流人の方々との出逢いや、日本写真家協会会長としての田沼さんの写真への想いについて、お話をお伺いします。

by ニフティ「想い伝え隊」大空

コメント (1)

コメント

子どもにその国の社会が反映されるというのは、本当だと思います。大人が自分のことばかり考えている社会では、どんな子供が育ってくるのかと思うと恐ろしいものがあります。
この記事を読ませていただいて、田沼さんの写真を見た人が一人でも多くの子供が幸せに暮らせる世界を作っていこうと感じてくれればいいなと思いました。また、人の心を打つような素晴らしい記事をお願いします。

投稿: 寅次郎 | 2008年7月25日 (金) 04時57分

コメントを書く




コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。